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我が家の愛犬!

今年の12月で16歳おじいちゃん犬のリッキーくん。16歳にしては元気です。ちょっと歳だと感じることも多々ですが。。。留守中にやっちゃってるね。。。まあしょうがないね。元気で長生きしてください。たまにはこんなブログもよいね!笑

消えゆくこころ 変わりゆくこころ 惑わされるこころ

金峰山寺に足を運んだ回数も十回は超えました。ここのところ毎年金剛蔵王権現の御開帳が春と秋にございます。数百年間秘仏であったのが数十年前に御開帳になったとき、それはそれは色鮮やかな圧巻の仏様に心清められるおもいでございました。そして、ありがたく参拝される方の清き心と同調し心底『よかった』と思えました。しかしながら、ここ数年足を運ぶも訪れる方のマナーも悪く、騒音を立てるバイクや参道を遠慮もなくスピードを落とさずに走る車など、また、参拝ではなくピクニック気分で訪れ参道を大きな声でお下品な会話をされたり、まったく参拝とは無関係です。蔵王権現も古くなったお寺の修復のために御開帳を頻繁にしているのですが、数年前よりも色があせてしまい迫力がうすれお疲れのように見えてなりません。まるでこの世の人間の不純さに疲れてしまっているようです。この仏を制作する過程を考えると現代の技術がいくら進歩したとはいえ到底同じものを作ることは難しいと思います。そこには信仰からなる人々の純粋なこころがあったのだと思います。それがあったからこそこ蔵王権現をつくれたのだと思います。いくら文明が発達しようとも人は非力自然には勝てません。都合の良いものなどありません。便利に惑わされてはいけません。人は自然の中で生かされている。そのことを肝に銘じなければなりません。『ありがたい、ありがたい、感謝!感謝!』消えゆくこころ 変わりゆくこころ 惑わされるこころ おごるこころを持たなければこのようにはなりません。『謙虚に慎ましく』生きることが大切なのだと思います。

俗名での葬儀は非常に難しい

姫路での僧侶派遣の依頼がありました。後のお寺とのお付き合いが不可能な為、白木の位牌の処分にも困るので俗名で葬儀だけしたいという。ご家族様の事情を尊重するも複雑でした。結論から申しますと俗名での葬儀は仏教のしきたりではタブーだからです。通常は仏様のお弟子にならなければ戒や引導を渡せません。つまり仏様になれないのです。弟子にしていただくためにはちゃんと戒名というお名前をいただかなければなりません。式中に初七日も依頼されましたが本来はこれもタブー。四十九日まで七日ごとに仏様の教えを受けるための法事になります。俗名での葬儀をしてしまうと故人様がその教えを受けることができないのです。僧侶としましても俗名では仏様にお弟子ですと橋渡しができません。嘘は申せません。僧侶としては複雑な弔い方でございました。せめて地獄道に落ちないようにのみさせていただくことしかできません。後はご親族様が故人様を一生懸命に供養なさることをお祈り申し上げます。この世は利便に尽きると安易なお考えはご法度です。故人様のこの世での最後のお見送りです。ご家族様の事情もおありであると思いますがせめてそれならば戒名ありの火葬式の方が弔いの方法としては簡素ではございますが故人様も浮かばれるのではないかと存じます。重ねて『この世は利便に尽きると安易なお考えはご法度!』です

安易なものには必ず裏がある

今日、早朝からタップビジネスで80万円をだまし取られたというようなニュースが流れていました。騙すことは罪!しかし、騙される方も欲に魅せられたと言われれば否定できない。『正見』仏教にはこのような言葉がある。正しい物の見方という意味である。都合、勝手、欲など、正しく物事をとらえる目が現代人は衰えて行っているような気がします。そこには人を思いやる心が失われているように感じる。その背景が最近よくわかるのが葬儀の簡素化だ。時間を急ぐ人の文化は仕方がないのかもしれない。しかし、弔う気持ちまで簡素化になってはならない。新しく参入する葬儀業者・僧侶派遣・白木の位牌処分や仏壇を処分する処分業者利用するなら『正見』を持って見るべきである。しかし寺院はビジネスではない昔も今も変わることなく弔うことを仕事としていることを忘れてはならない。どうぞ『正見』を持って見ていただきたいと思います。

本日は定例護摩でした!

毎月第三日曜日は定例護摩予約制ではございますが、午前10時~・午後2時~の二座、不動一段尽護摩を修させていただきました。今日はお大師さまの縁日の護摩です。護摩の前法要の際の仏様を撮影致しました。心がお疲れのとき、ちょっと元気になりたいときどうぞご覧ください。 合掌

自分でできる遺品の処分

葬儀後によく聞かれることがあります。四十九日が終わると白木の飾り棚の処分はどうしたらよいでしょうか?葬儀業者によっては引き取っていただけるところもあるかもしれませんが現場に行くとたいていは喪主様で処分のようです。正直悩むと思います。葬儀の際に使用したものです。お坊さんに供養していただいた方がよいのかな?そう思う方がほとんどであろうと思います。僧侶の立場から申しますと白木の飾り棚などに魂が入るといった感覚はありません。しかし、気になることでしょうから実際は供養して片付ける方が心苦しさがないと思います。中には故人様が大切にしていた遺品、お茶碗、お箸、コップ、入れ歯、タオル、衣服類など小物だけでもいろいろと悩むと思います。

私のところにもそのような依頼がございます。寺院からお近くの方は法要をさせていただいています。その際、遺品はお寺にお持ちいただいています。ただし、法要のみで処分は施主様にお願いしています。しかしながら、遠方となると来寺することも私が施主さまのご自宅へ訪ねて行くこともできません。その場合はどうすればよいでしょうか。

清めお香供養という方法があります。

当寺院のご本尊様は安芸の宮島から奉戴してまいりました十一面観音菩薩です。十一面観音菩薩は観音菩薩様の中でもさまざまな仏様にお使いになられた優秀な仏様です。また、敵に回すと大変な歓喜天さえもいうことをきかしてしまうお力をお持ちです。その霊験あらたかな十一面観音菩薩の元供養しました。清めお香を遺品へお使いください。全国対応一袋三千円でお分けしています。お気軽にお問合せ下さい。但し、人形などの処分はできません。別の清め香となります。

お問い合わせフォーム

最近はネットのみを利用した全国対応遺品回収業者が多く存在します。簡単に依頼できる裏では供養もせずそのままゴミのように廃棄してしまう業者もあるという心無い話も耳にします。業者は寺院ではありません。ビジネス優先に考えているということを忘れてはなりません。最後は、ご自身の手で丁寧に悔いなく御処分ください。

 

 

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