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三千枚護摩結願致しました。

昨年度はじめからお伝えしておりました三千枚護摩行を無事結願することができました。三千枚の護摩木の思いをひとつひとつ見ますとさまざまな方々の心の思いが伝わってまいりました。託された護摩木に書かれた願いをできる限り仏様のお近くまで行き叶えて頂けるようお伝えする。これまでで一番長くお不動様と対面させていただいたと思っております。一万回の不動真言から三日間の木食戒と水分摂取のみで壇に上がり、二日に渡る一座最長二時間から二時間半弱の護摩を七座以上こなしましたが、純聖寺の北本にお願いを託して下さった皆様の純粋な心があと押ししてやりきれたと思っております。また、この場をお借りして弟子一同が一丸となって私を支えてくれたことは感謝につきません。心から頭を垂れたいと思います。以我功徳力・・・本人の努力した得分。如来加持力・・・仏様の力。ご加護。及以法界力・・・それを後押しする周りの人々の祈る力。お願い事を叶えるにはこの三つの力のどこが欠けてもなりません。しかしながら、私は三千枚護摩を結願させていただきました。三千枚護摩にご参加下さいましたご参拝者様におかれましては、必ずお不動様がすばらしい功徳を届けて下さることであろうと思っております。私ども聖行派はこれからも精進を全身全霊で行い、利他行に勤しみたいと思っております。皆様のご多幸をお祈り申し上げます。 合掌

姫路成田山と福崎布教所 純聖寺の関係について

ホームページを開設させていただいてから当寺院について多くのお問い合わせ、ご質問等がございますのでこの場をお借りいたしましてご公示させていただきます。

姫路成田山布教所 大弥山純聖寺は姫路成田山の不動明王のご分霊を一番最初に賜った分霊寺院であります。住職自らが姫路成田山の不動明王により心身ともに救われた出来事から不動明王の霊験を一心に感じ、帰依することをお誓い申し上げ現在、布教所をさせていただいております。

しかしながら、そのような経緯はございますが当寺院は寺考により正法輪身である十一面観音菩薩をお迎えし、その本尊を中心とした独寺の宗教活動を行っております。したがって当寺院は姫路成田山の布教所ではございますが、姫路成田山八光山明勝寺とは宗教活動方針が異なっております。また、明勝寺の寺院運営など方針のかじ取りに関しても当寺院は一切関わっておりません。したがって姫路成田山八光山明勝寺の僧侶養成活動とも一切関わりはございません。

この場をお借りしご公示させていただきたいと思います。

理不尽な、お詫び

正見を持って、この記事を読まれまれている方はお察しのことと思います。長期に渡る理不尽さ、この状態に苦言したい毎日です。私があえてこの場所にいるのはもうこの世には存在しないが義理があるからです。約束、守らなければならないものそれがあるからです。それを破ることは本分を全うすることにならないからです。世の中はきっと先入観や偏見があるかもしれない。しかし、そう思うものと当方は全く異質なものであるとどうぞご理解いただければ幸いです。しかしながら、畏れ多い方々にご迷惑をおかけしていること、当方から申すのは理不尽極まりなく思いますがお詫びを申したい気持ちでいっぱいです。聖行派は本分を全うするのみでございます。

本日、初不動!

本日は今年初めてのお不動様のご縁日でしたので不動一段尽護摩を修しました。

一座目は本日、午前4時半から

二座目は本日、午前11時頃からでした。

 

密教の原点

先週京都に足を運びました。京都は紅葉まっさかりでしたが主要は東寺、2か月に一度程度で訪れています。目的は講堂の諸尊。空海の原点がここにある。この場所で感じることが教義であるといつも有難さを感じています。近年はスピリチュアルという言葉にあふれる世界観で、繋がりのないものを都合よくあれもこれもと結びつけて密教をご商売に扱う自称〇〇〇〇カウンセラーや〇〇で修行したなどとうたい僧侶もどきの霊媒師のような方まで・・・なんちゃって密教を取り入れおかしげなことをされているなどのお話を耳にすることがあります。講堂に入れば常人ならば密教観に圧倒されます。自身の学びのなさに恥ずかしささえおぼえなければならない・・・密教に触れることは許されても何もご存知のない方が密教を歪め別物にするのだけはどうぞご遠慮いただきたく思います。

我が家の愛犬!

今年の12月で16歳おじいちゃん犬のリッキーくん。16歳にしては元気です。ちょっと歳だと感じることも多々ですが。。。留守中にやっちゃってるね。。。まあしょうがないね。元気で長生きしてください。たまにはこんなブログもよいね!笑

消えゆくこころ 変わりゆくこころ 惑わされるこころ

金峰山寺に足を運んだ回数も十回は超えました。ここのところ毎年金剛蔵王権現の御開帳が春と秋にございます。数百年間秘仏であったのが数十年前に御開帳になったとき、それはそれは色鮮やかな圧巻の仏様に心清められるおもいでございました。そして、ありがたく参拝される方の清き心と同調し心底『よかった』と思えました。しかしながら、ここ数年足を運ぶも訪れる方のマナーも悪く、騒音を立てるバイクや参道を遠慮もなくスピードを落とさずに走る車など、また、参拝ではなくピクニック気分で訪れ参道を大きな声でお下品な会話をされたり、まったく参拝とは無関係です。蔵王権現も古くなったお寺の修復のために御開帳を頻繁にしているのですが、数年前よりも色があせてしまい迫力がうすれお疲れのように見えてなりません。まるでこの世の人間の不純さに疲れてしまっているようです。この仏を制作する過程を考えると現代の技術がいくら進歩したとはいえ到底同じものを作ることは難しいと思います。そこには信仰からなる人々の純粋なこころがあったのだと思います。それがあったからこそこ蔵王権現をつくれたのだと思います。いくら文明が発達しようとも人は非力自然には勝てません。都合の良いものなどありません。便利に惑わされてはいけません。人は自然の中で生かされている。そのことを肝に銘じなければなりません。『ありがたい、ありがたい、感謝!感謝!』消えゆくこころ 変わりゆくこころ 惑わされるこころ おごるこころを持たなければこのようにはなりません。『謙虚に慎ましく』生きることが大切なのだと思います。

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