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葬儀時のお坊さんの手配について

もし、ご家族様が亡くなられたら。。。菩提寺がない(依頼するお寺をお持ちでない)場合、僧侶への依頼はどうすればよいのか『葬儀時のお坊さんの手配について』よく知っておられた方がよいと思いますので長文となりますがしっかりとご覧ください。

最近では①葬儀社さまにご寺院のご紹介を依頼 ②『お坊さん便』などはやりの僧侶派遣会社に依頼 ③寺院様に直接依頼たいていはこのような選択をされると思います。しかしながら葬儀で読経を行うのは寺院です。ですので①や②であっても最終的には寺院と喪主様のお話になってしまいます。また、情報収集不足で寺院への直接のご依頼は『お布施が高い』『依頼を受けてくれにくい』『寺院側が横柄で希望を聞いてくれない』と思われがちです。確かにそのようなお話も聞きますが、そのようなお寺ばかりではありません。当寺院では派遣に依頼しても寺院に直接依頼でもお布施はの金額はあまり変わりません。場合によってはお布施の額も低く済むこともあります。

私がいつも感じていることを申しますと①葬儀社さまにご寺院のご紹介を依頼のケースでは葬儀社も紹介できるほど多くご寺院さまとの親密な関係はございません。葬儀社側が葬儀時間の設定などを行うため約30分ぐらいの法要でお願いされます。また、葬儀社様からの支持もございます。したがって、葬儀社様の意向に沿える寺院となりますと檀家の多い大きなご寺院さまでは力の関係上融通が通らないことがほぼですので、そうなりますと葬儀社様は依頼のしやすい僧侶派遣会社に連絡を入れるというパターンになります。つまり、葬儀会社に依頼をしても僧侶派遣会社に依頼を回されるようです。

②はやりの僧侶派遣会社に依頼のケースはお寺と喪主さまの間に派遣会社がはさまってしまいます。そうなりますと喪主様・派遣会社・寺院の三角関係になってしまいますので、寺院との連絡のやりとりがスムーズでなくなります。実際に私も経験しましたが、派遣会社によっては法事の際、喪主様からの法事の依頼内容の理解不足で、寺院に喪主様の依頼とことなる法事内容を伝えていたこともあり喪主様とのトラブルも過去に多くありました。また、このようなことはあってはなりませんが派遣会社にニセ僧侶が登録をしており、派遣会社から依頼を受けて葬儀に堂々と僧侶になりすまして出仕していたケースもあると聞きます。派遣会社はたいてい僧侶を証明する書類などの提出を要求します。しかし、書類の提出のみで直接会って依頼の約束をするわけではありません。派遣会社の規定で僧侶かどうか選別しているようです。したがって、宗派の僧侶であるという認識のみで僧侶としての力量、実績、人柄などは問いません。そして、法要後は喪主様のお布施を寺院が受けて持ち帰りますが僧侶派遣会社に謝礼をするように決められています。私はいつも口癖のように申しますが業者は寺院ではありません。ビジネスであるということを忘れないように思っておかなければなりません。

③寺院様に直接依頼のケースで実際にあった話ですが、名の通った寺院様に依頼しお布施を高額請求された。また違う寺院様ではご住職様が大変横柄な態度だったので依頼を断念したと聞きました。同じ僧侶として本当に申し訳ない気持ちになります。これはもはや人の道というものの問題です。『坊主〇〇け』などと言われるのもこのような僧侶様がいらっしゃるから生まれた言葉でしょう。僧侶の中には私もひどい!という方をお見受けします。しかしながら、一生懸命に仏道を精進しようとする僧侶様もいらっしゃいます。すべての僧侶が駄目というわけではありません。お寺の大きさでよい僧侶でもありません。良いか悪いかのすべては僧侶さま個人個人の資性であると思います。実際にお会いされどのような方で依頼を決めればよいと思います。

当寺院に葬儀のご依頼をされる方はご祈願ご祈祷など法要を実際にお受けになられた方がほとんどです。つまり、この僧侶で大丈夫と安心をいただいているのだと思います。実際にこの目で見る!菩提寺をお探しの皆様が一番注意しなければならないことは、正見を持つことです。つまり正しく物事を判断する目を持つことです。当寺院でも菩提寺のない方の葬儀依頼のご相談などは無料でお話をさせていただきます。私でお役に立てるかどうかご自身の目でお確かめ下さい。

◎可能エリア 姫路・高砂・加古川・たつの・赤穂他 遠方でもお気軽にご相談ください。西は岡山まで東は大阪まで出仕したことがあります。

当寺院の葬儀のご案内

世の中は行き過ぎた資本主義の影響で困っている人を助けるというところから発展するビジネスではなく。困っている人からどうにかくすねてやろうとするビジネスに変化しているように思われます。少々面倒であっても簡単安易には何かカラクリがあるのだとお思いください。皆様が正道を歩むように望みます。

白木の位牌処分について 仮位牌どうされていますか?

葬儀後、白木の位牌つまり仮位牌をどうされていますか?四十九日をむかえますと仮位牌から本位牌(黒塗りの位牌)に交換するのが一般的です。当寺院でも四十九日法要で喪主さまから法要が終わった後に仮位牌(白木の位牌)の処分について聞かれることがあります。何も御存じないようで「引き取りますよ」とお伝えするとすごく安心されます。葬儀後にお付き合いがございますとこのようなことも困ることはありません。

しかし、最近の葬儀事情の中で、直接火葬場でお別れをされる火葬葬儀の依頼を受けることが多くあります。核家族化の影響で、特に身寄りのないご親族様やそのご親族様の居住されていた地域が遠方である。そのような理由から葬儀後に寺院を通じての供養をすることができないとうケースがあります。当寺院でも仮位牌(白木の位牌)をお持ちしますがその後、そのような理由から喪主様からの法事のご連絡をいただかないことがよくございます。とはいえ、菩提寺のない状態ですのでその後、魂が入ったままの仮位牌つまり白木の位牌をどのようにされているのか心配になります。

① 納骨はしたものの仮位牌(白木の位牌)だけ残ってしまって処分に困っている。

② 永代供養をお考えでまだ納骨先が定まっておらず、四十九日が過ぎて仮位牌(白木の位牌)の処分のタイミングを逃してしまって困っている。

などのお話も聞いたことがあります。このようなことでお困りではありませんか?また、このようなこと以外にもさまざまな事情で仮位牌(白木の位牌)がそのままということがあると思います。

また、最近ではネットのみを利用した全国対応の仮位牌(白木の位牌)の処分業者が増えてきておりますが、簡単に依頼できる裏では供養もせずそのままゴミのように廃棄してしまう業者もあるという心無い話も耳にします。業者は寺院ではありません。ビジネス優先に考えているということを忘れてはなりません。

僧侶の立場からしますと寺院とのお付き合いができないことと故人様の供養をしてあげないのとは話が違うような気が致します。故人様も生前は懸命に世の中を生きてこられました。人として人のお役に立つこともあった人生。これで最後になっても良いので仮位牌(白木の位牌)を顔の見えない業者にゆだねるのではなく敬意をもって、ちゃんとお寺で丁寧に供養していただきたいと思います。

当寺院では理由は一切問わず、宗派も問わず行先のない仮位牌(白木の位牌)を引き取り供養しております。時代は変わっても魂の在り方は不変であると思います。僧侶としてお役目を頂けるのであればどのような形であれ供養する。これが真言密教僧であると思っております。

当寺院は安芸の宮島から奉戴した十一面観音菩薩のお寺です。そのような方を救うのもお役目。お困りの方がいらっしゃいましたらお問い合わせください。また、仮位牌(白木の位牌)だけではなく本位牌の供養お引き取りも行っております。

お問い合わせ、ご依頼はメールフォームから

※この件についてお困りのご寺院さまもお気軽にお問合わせください(宗派不問)

白木位牌のお引き取り(処分)

南国愛媛でも寒かった!

7日8日と愛媛松山に出向でした。

しかし、黄砂と花粉。。。それだけでなく半端ない寒さでした。

朝起きてびっくり!霊峰、石鎚山が雪で真っ白でした。この時期にありえません。

しかしながら、定期便の愛媛への出向ご相談者さまの前進するお姿を見てホッと致しました。愛媛松山での次の相談月は六月。

それまで石鎚山とさようならです。また違う景色を見させていただきます。  合掌

悲しき形に変わりゆく僧侶とお寺

先日、他檀家の方からこのようなお話を伺いました。

『うちの和尚さんは最近の家族葬には反対のようです。どうもお布施が少なくなるからみたいで、法事でお越しいただいたときもお布施の話ばっかりであまり説法などはされませんし・・・』またお布施が少ないとお見直し下さいと突き返される。お話の最後には檀家を辞めることができるなら辞めたいとのこともおっしゃられていました。

現代の檀家離れの典型的な実例です。この辺りの相場ですが葬儀の際のお布施は当寺院の二倍から三倍と聞きます。少なくなると申しましてもそこから少々ですから申し分なく感じます。お寺の修繕費用や存続費用にかかることもあるでしょう。しかしながら、お寺に払うのはもったいないと思われるということは相応の布教がなされていないという証であると思います。どうして和尚さんはそこをご理解されないのでしょうか。物を買う時にそれ相応の価値に見合った物を買う。お布施は物ではありません。しかし、お坊さんが仏の功徳を檀家に押し付けてご自身が横柄な態度ではいけない。それなりのお布施を頂いているのであれば自らがしっかりと一生懸命布教をされなければならない、そしてその聖職者としてのお姿に安心を求めるのです。

私もしっかりと仏道に勤しまなければなりません。 合掌

 

 

桜満開!

やっぱり桜は綺麗ですね。。。本日より海外から弟子が来ています。

明日は厳しい行ですが、綺麗な桜に心癒されます。

どこか不思議と疲れもなくなる。自然は『神仏』そのものですね。感謝でございます。 合掌

働きながらお坊さんになる。僧侶になりたい。僧侶入門。《僧侶になったお弟子さんの声》

私は小さき頃より、人の大きな悩み苦しみを目の当たりにし、 真面目な性格からもあり、それらの苦しみの原因と何故そのようになるのかを探求しておりました。社会人として勤めている中、真言密教という仏教のご縁を賜りました。すぐにお寺へ出家し、9年間真言密教僧侶としての様々な基礎を学習させていただきましたが、その後、寺を下りしばらくの間、一般人として生活を送っておりました。

仏教を離れた生活、もやもやとした気持ちの日々を過ごしていました。そのようなとき、あるきっかけで純聖寺を知りました。十一面観音菩薩や諸佛の導きをいただき、自分の道は僧侶しかないと再び門を叩く決心ができました。

働きながら学べる。寺に9年いた経験上、本当に大丈夫だろうかと不安もありましたが、はじめて師とお目通りさせていただいた時の感動は今でも忘れません。弟子入りをして行を始めました。学院では加行作法だけではなく、丁寧に実践に即した読経や聲明に関しての指南もしていただきました。私の想像以上にきっちりされているのに感銘致しました。お師匠さまが「ここはあなたの他にも僧侶経験者が何人かいますからしっかりやらないといけません。密教を全うに行う聖行心を持って!」と言われたときに学ぶ場所は、寺の格式や大きさではなく師僧の本質が一番大切な事だなと実感致しました。

これからも精進致してまいりたいと思います。 合掌

純聖寺 宮城布教所 星名天弘

 

合格おめでとう!

所要が立て込んでブログの更新ができませんでしたが、3月19日(月)公立高校の合格発表でした。受験生のご家族さまに依頼されお寺でも事前に護摩をしたり祈祷をしたり、ご家族さまは熱心にお祈りをされました。

その甲斐あって見事全員合格!おめでとうございます。

ご家族さまからもお寺にお礼の電話をたくさんいただきました。「先生のおかげ」とおっしゃられていた方もいらっしゃいましたが一番は受験生の努力です。そして二にそれを純粋に応援する家族の力。三に日頃の有難さを感謝することで頂く仏のご加護の力(仏を信じる力)この三つを『三力』と言いますがこれがあったからこそよい結果が生まれたのだと思います。

何事もこの三つの力を忘れずに、傲慢にならず周りの意見も聞き入れて、自身が自然(神仏)に生かされていることに感謝して、日々笑顔で過ごしていただきたいと思います。重ねておめでとうございます。

合掌

働きながら僧侶になる。お坊さんになりたい。

私自身、手に職を持ちながら真言密教僧の道をめざしました。『働きながらでも僧侶になりたい』そのようにお考えの方は多くいらっしゃると思います。

僧侶を目指すとなると『修行』というものがあります。どうしても一定期間、お山に籠らなければならない。そのような問題が僧侶を目指したい気持ちにストップをかけてしまうこともあろうかと思います。

僧侶となって人のために何かしたい!と思われる慈悲の心をお持ちの方は多くいらっしゃると思います。そのような方に大弥山専修学院ではできる限り『僧侶入門』という門扉を開きたいと考えています。そして、学院では『修行』の期間を個人的に考慮し、ご自身のペースで『修行』していただく方針をとっております。

一昨日は東日本大震災、七年目の日でございました。学院卒業生の中には、遠い宮城県から真言密教を学びに当学院の門を叩き、僧侶となり現在では葬儀法要などさまざまな場面に出仕されている方もいらっしゃいます。ご自身も震災を目の当たりにし、被災者やまた、お亡くなりになられた方々の鎮魂のために尽力を尽くす所存であると仏道に勤しまれておいでです。

僧侶を目指す理由はさまざまであると思いますが、このような志をお持ちの方へ自らが学んだ真言密教をお伝えしたく思っております。

多くの人々に仏の慈悲が届き安心に満ちた毎日を送られることを心よりお祈り申し上げます。

『僧侶入門』詳細をご希望の方は資料請求も行っております。資料請求は僧侶入門リンクにある資料請求よりお問い合わせください。

僧侶としての葬儀出向

今年は年初めからいろいろとあり、今年初めてのブログ更新になります。

この冬は寒さが厳しかったせいでありましょうか。年初めから葬儀出向の依頼が多くございました。ご家族さまの意向に沿い、弔いの心は寄り添う気持ちを持って馳せ参じております。

私事でございますが数か月前に父を亡くしました。介護も数年、長く闘病生活を送っておりました。いざ亡くなってから葬儀をする際、いろいろな思いが込み上げてくるものです。家族が欠けるというのは本当に寂しいものです。20年程前にも弟を亡くし、今度は父を亡くしました。

『いいところに行けよ!』

送ってあげることが家族最後の大きな務め。父の葬儀は私が導師をさせていただきました。悲しむ心を堪えてやり切りましたが最後はほろっと涙が流れました。

そんな経験を致しますと僧侶としてご家族様の旅立ちの儀式に御縁があった際は、しっかり送ってあげなければいけないと強く思うとともにご家族さまのお気持ちに寄り添いできる限りお手伝いをして差し上げたいと思うのです。

今から約30年は死層時代とも言われています。つまり、旅立たれる方の年齢が層が多くなってまいります。加えてお寺様とご縁を失われた御家もたくさんあると聞きます。僧侶として故人様を送って行くことは使命であります。もしお寺様との御縁など失われお困りのようでございましたら当寺院へご一報ください。宗派は不問です。また葬儀に関する事前のご相談も無料でお受けしております。御遠慮なくお申し付けください。

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