ブログ

俗名での葬儀は非常に難しい

姫路での僧侶派遣の依頼がありました。後のお寺とのお付き合いが不可能な為、白木の位牌の処分にも困るので俗名で葬儀だけしたいという。ご家族様の事情を尊重するも複雑でした。結論から申しますと俗名での葬儀は仏教のしきたりではタブーだからです。通常は仏様のお弟子にならなければ戒や引導を渡せません。つまり仏様になれないのです。弟子にしていただくためにはちゃんと戒名というお名前をいただかなければなりません。式中に初七日も依頼されましたが本来はこれもタブー。四十九日まで七日ごとに仏様の教えを受けるための法事になります。俗名での葬儀をしてしまうと故人様がその教えを受けることができないのです。僧侶としましても俗名では仏様にお弟子ですと橋渡しができません。嘘は申せません。僧侶としては複雑な弔い方でございました。せめて地獄道に落ちないようにのみさせていただくことしかできません。後はご親族様が故人様を一生懸命に供養なさることをお祈り申し上げます。この世は利便に尽きると安易なお考えはご法度です。故人様のこの世での最後のお見送りです。ご家族様の事情もおありであると思いますがせめてそれならば戒名ありの火葬式の方が弔いの方法としては簡素ではございますが故人様も浮かばれるのではないかと存じます。重ねて『この世は利便に尽きると安易なお考えはご法度!』です

安易なものには必ず裏がある

今日、早朝からタップビジネスで80万円をだまし取られたというようなニュースが流れていました。騙すことは罪!しかし、騙される方も欲に魅せられたと言われれば否定できない。『正見』仏教にはこのような言葉がある。正しい物の見方という意味である。都合、勝手、欲など、正しく物事をとらえる目が現代人は衰えて行っているような気がします。そこには人を思いやる心が失われているように感じる。その背景が最近よくわかるのが葬儀の簡素化だ。時間を急ぐ人の文化は仕方がないのかもしれない。しかし、弔う気持ちまで簡素化になってはならない。新しく参入する葬儀業者・僧侶派遣・白木の位牌処分や仏壇を処分する処分業者利用するなら『正見』を持って見るべきである。しかし寺院はビジネスではない昔も今も変わることなく弔うことを仕事としていることを忘れてはならない。どうぞ『正見』を持って見ていただきたいと思います。

本日は定例護摩でした!

毎月第三日曜日は定例護摩予約制ではございますが、午前10時~・午後2時~の二座、不動一段尽護摩を修させていただきました。今日はお大師さまの縁日の護摩です。護摩の前法要の際の仏様を撮影致しました。心がお疲れのとき、ちょっと元気になりたいときどうぞご覧ください。 合掌

自分でできる遺品の処分

葬儀後によく聞かれることがあります。四十九日が終わると白木の飾り棚の処分はどうしたらよいでしょうか?葬儀業者によっては引き取っていただけるところもあるかもしれませんが現場に行くとたいていは喪主様で処分のようです。正直悩むと思います。葬儀の際に使用したものです。お坊さんに供養していただいた方がよいのかな?そう思う方がほとんどであろうと思います。僧侶の立場から申しますと白木の飾り棚などに魂が入るといった感覚はありません。しかし、気になることでしょうから実際は供養して片付ける方が心苦しさがないと思います。中には故人様が大切にしていた遺品、お茶碗、お箸、コップ、入れ歯、タオル、衣服類など小物だけでもいろいろと悩むと思います。

私のところにもそのような依頼がございます。寺院からお近くの方は法要をさせていただいています。その際、遺品はお寺にお持ちいただいています。ただし、法要のみで処分は施主様にお願いしています。しかしながら、遠方となると来寺することも私が施主さまのご自宅へ訪ねて行くこともできません。その場合はどうすればよいでしょうか。

清めお香供養という方法があります。

当寺院のご本尊様は安芸の宮島から奉戴してまいりました十一面観音菩薩です。十一面観音菩薩は観音菩薩様の中でもさまざまな仏様にお使いになられた優秀な仏様です。また、敵に回すと大変な歓喜天さえもいうことをきかしてしまうお力をお持ちです。その霊験あらたかな十一面観音菩薩の元供養しました。清めお香を遺品へお使いください。全国対応一袋三千円でお分けしています。お気軽にお問合せ下さい。但し、人形などの処分はできません。別の清め香となります。

お問い合わせフォーム

最近はネットのみを利用した全国対応遺品回収業者が多く存在します。簡単に依頼できる裏では供養もせずそのままゴミのように廃棄してしまう業者もあるという心無い話も耳にします。業者は寺院ではありません。ビジネス優先に考えているということを忘れてはなりません。最後は、ご自身の手で丁寧に悔いなく御処分ください。

 

 

葬儀時のお坊さんの手配について

もし、ご家族様が亡くなられたら。。。菩提寺がない(依頼するお寺をお持ちでない)場合、僧侶への依頼はどうすればよいのか『葬儀時のお坊さんの手配について』よく知っておられた方がよいと思いますので長文となりますがしっかりとご覧ください。

最近では①葬儀社さまにご寺院のご紹介を依頼 ②『お坊さん便』などはやりの僧侶派遣会社に依頼 ③寺院様に直接依頼たいていはこのような選択をされると思います。しかしながら葬儀で読経を行うのは寺院です。ですので①や②であっても最終的には寺院と喪主様のお話になってしまいます。また、情報収集不足で寺院への直接のご依頼は『お布施が高い』『依頼を受けてくれにくい』『寺院側が横柄で希望を聞いてくれない』と思われがちです。確かにそのようなお話も聞きますが、そのようなお寺ばかりではありません。当寺院では派遣に依頼しても寺院に直接依頼でもお布施はの金額はあまり変わりません。場合によってはお布施の額も低く済むこともあります。

私がいつも感じていることを申しますと①葬儀社さまにご寺院のご紹介を依頼のケースでは葬儀社も紹介できるほど多くご寺院さまとの親密な関係はございません。葬儀社側が葬儀時間の設定などを行うため約30分ぐらいの法要でお願いされます。また、葬儀社様からの支持もございます。したがって、葬儀社様の意向に沿える寺院となりますと檀家の多い大きなご寺院さまでは力の関係上融通が通らないことがほぼですので、そうなりますと葬儀社様は依頼のしやすい僧侶派遣会社に連絡を入れるというパターンになります。つまり、葬儀会社に依頼をしても僧侶派遣会社に依頼を回されるようです。

②はやりの僧侶派遣会社に依頼のケースはお寺と喪主さまの間に派遣会社がはさまってしまいます。そうなりますと喪主様・派遣会社・寺院の三角関係になってしまいますので、寺院との連絡のやりとりがスムーズでなくなります。実際に私も経験しましたが、派遣会社によっては法事の際、喪主様からの法事の依頼内容の理解不足で、寺院に喪主様の依頼とことなる法事内容を伝えていたこともあり喪主様とのトラブルも過去に多くありました。また、このようなことはあってはなりませんが派遣会社にニセ僧侶が登録をしており、派遣会社から依頼を受けて葬儀に堂々と僧侶になりすまして出仕していたケースもあると聞きます。派遣会社はたいてい僧侶を証明する書類などの提出を要求します。しかし、書類の提出のみで直接会って依頼の約束をするわけではありません。派遣会社の規定で僧侶かどうか選別しているようです。したがって、宗派の僧侶であるという認識のみで僧侶としての力量、実績、人柄などは問いません。そして、法要後は喪主様のお布施を寺院が受けて持ち帰りますが僧侶派遣会社に謝礼をするように決められています。私はいつも口癖のように申しますが業者は寺院ではありません。ビジネスであるということを忘れないように思っておかなければなりません。

③寺院様に直接依頼のケースで実際にあった話ですが、名の通った寺院様に依頼しお布施を高額請求された。また違う寺院様ではご住職様が大変横柄な態度だったので依頼を断念したと聞きました。同じ僧侶として本当に申し訳ない気持ちになります。これはもはや人の道というものの問題です。『坊主〇〇け』などと言われるのもこのような僧侶様がいらっしゃるから生まれた言葉でしょう。僧侶の中には私もひどい!という方をお見受けします。しかしながら、一生懸命に仏道を精進しようとする僧侶様もいらっしゃいます。すべての僧侶が駄目というわけではありません。お寺の大きさでよい僧侶でもありません。良いか悪いかのすべては僧侶さま個人個人の資性であると思います。実際にお会いされどのような方で依頼を決めればよいと思います。

当寺院に葬儀のご依頼をされる方はご祈願ご祈祷など法要を実際にお受けになられた方がほとんどです。つまり、この僧侶で大丈夫と安心をいただいているのだと思います。実際にこの目で見る!菩提寺をお探しの皆様が一番注意しなければならないことは、正見を持つことです。つまり正しく物事を判断する目を持つことです。当寺院でも菩提寺のない方の葬儀依頼のご相談などは無料でお話をさせていただきます。私でお役に立てるかどうかご自身の目でお確かめ下さい。

◎可能エリア 姫路・高砂・加古川・たつの・赤穂他 遠方でもお気軽にご相談ください。西は岡山まで東は大阪まで出仕したことがあります。

当寺院の葬儀のご案内

世の中は行き過ぎた資本主義の影響で困っている人を助けるというところから発展するビジネスではなく。困っている人からどうにかくすねてやろうとするビジネスに変化しているように思われます。少々面倒であっても簡単安易には何かカラクリがあるのだとお思いください。皆様が正道を歩むように望みます。

白木の位牌処分について 仮位牌どうされていますか?

葬儀後、白木の位牌つまり仮位牌をどうされていますか?四十九日をむかえますと仮位牌から本位牌(黒塗りの位牌)に交換するのが一般的です。当寺院でも四十九日法要で喪主さまから法要が終わった後に仮位牌(白木の位牌)の処分について聞かれることがあります。何も御存じないようで「引き取りますよ」とお伝えするとすごく安心されます。葬儀後にお付き合いがございますとこのようなことも困ることはありません。

しかし、最近の葬儀事情の中で、直接火葬場でお別れをされる火葬葬儀の依頼を受けることが多くあります。核家族化の影響で、特に身寄りのないご親族様やそのご親族様の居住されていた地域が遠方である。そのような理由から葬儀後に寺院を通じての供養をすることができないとうケースがあります。当寺院でも仮位牌(白木の位牌)をお持ちしますがその後、そのような理由から喪主様からの法事のご連絡をいただかないことがよくございます。とはいえ、菩提寺のない状態ですのでその後、魂が入ったままの仮位牌つまり白木の位牌をどのようにされているのか心配になります。

① 納骨はしたものの仮位牌(白木の位牌)だけ残ってしまって処分に困っている。

② 永代供養をお考えでまだ納骨先が定まっておらず、四十九日が過ぎて仮位牌(白木の位牌)の処分のタイミングを逃してしまって困っている。

などのお話も聞いたことがあります。このようなことでお困りではありませんか?また、このようなこと以外にもさまざまな事情で仮位牌(白木の位牌)がそのままということがあると思います。

また、最近ではネットのみを利用した全国対応の仮位牌(白木の位牌)の処分業者が増えてきておりますが、簡単に依頼できる裏では供養もせずそのままゴミのように廃棄してしまう業者もあるという心無い話も耳にします。業者は寺院ではありません。ビジネス優先に考えているということを忘れてはなりません。

僧侶の立場からしますと寺院とのお付き合いができないことと故人様の供養をしてあげないのとは話が違うような気が致します。故人様も生前は懸命に世の中を生きてこられました。人として人のお役に立つこともあった人生。これで最後になっても良いので仮位牌(白木の位牌)を顔の見えない業者にゆだねるのではなく敬意をもって、ちゃんとお寺で丁寧に供養していただきたいと思います。

当寺院では理由は一切問わず、宗派も問わず行先のない仮位牌(白木の位牌)を引き取り供養しております。時代は変わっても魂の在り方は不変であると思います。僧侶としてお役目を頂けるのであればどのような形であれ供養する。これが真言密教僧であると思っております。

当寺院は安芸の宮島から奉戴した十一面観音菩薩のお寺です。そのような方を救うのもお役目。お困りの方がいらっしゃいましたらお問い合わせください。また、仮位牌(白木の位牌)だけではなく本位牌の供養お引き取りも行っております。

お問い合わせ、ご依頼はメールフォームから

※この件についてお困りのご寺院さまもお気軽にお問合わせください(宗派不問)

白木位牌のお引き取り(処分)

南国愛媛でも寒かった!

7日8日と愛媛松山に出向でした。

しかし、黄砂と花粉。。。それだけでなく半端ない寒さでした。

朝起きてびっくり!霊峰、石鎚山が雪で真っ白でした。この時期にありえません。

しかしながら、定期便の愛媛への出向ご相談者さまの前進するお姿を見てホッと致しました。愛媛松山での次の相談月は六月。

それまで石鎚山とさようならです。また違う景色を見させていただきます。  合掌

悲しき形に変わりゆく僧侶とお寺

先日、他檀家の方からこのようなお話を伺いました。

『うちの和尚さんは最近の家族葬には反対のようです。どうもお布施が少なくなるからみたいで、法事でお越しいただいたときもお布施の話ばっかりであまり説法などはされませんし・・・』またお布施が少ないとお見直し下さいと突き返される。お話の最後には檀家を辞めることができるなら辞めたいとのこともおっしゃられていました。

現代の檀家離れの典型的な実例です。この辺りの相場ですが葬儀の際のお布施は当寺院の二倍から三倍と聞きます。少なくなると申しましてもそこから少々ですから申し分なく感じます。お寺の修繕費用や存続費用にかかることもあるでしょう。しかしながら、お寺に払うのはもったいないと思われるということは相応の布教がなされていないという証であると思います。どうして和尚さんはそこをご理解されないのでしょうか。物を買う時にそれ相応の価値に見合った物を買う。お布施は物ではありません。しかし、お坊さんが仏の功徳を檀家に押し付けてご自身が横柄な態度ではいけない。それなりのお布施を頂いているのであれば自らがしっかりと一生懸命布教をされなければならない、そしてその聖職者としてのお姿に安心を求めるのです。

私もしっかりと仏道に勤しまなければなりません。 合掌

 

 

先頭に戻る