住職の雑学日記!~河童伝説~

純聖寺がある、福崎町は妖怪の街として近頃はちょっとばかし話題になってます!

このような妖怪スポットばかり有名ですが実はこれは民俗学者で有名な柳田國男先生が福崎町出身で先生がカッパ伝説をお話されたのがきっかけです。

福崎のホームセンターアグロ近くに『駒ケ岩』という岩があります。福崎を流れる市川にあります。

ここで柳田先生は幼少の頃よく泳がれていたそうですが普段からここにはカッパが出てきてお尻をカッパに抜かれるから気をつけて!と言われていたそうです。

何やら恐ろしげな話です。そんなことから福崎町はカッパ=妖怪の街になっていったのですが、実は大昔、この福崎に凄い陰陽師がいたそうなんです!

純聖寺が福崎町にあるのも何だかんだそのような意味もあるのでしょうか。。。と。。。

福崎の陰陽師の話はまた次回!

ホームページに注意しよう!正見を養おう!

このご時世なんでもネット検索で探すことができる。ホームページも綺麗に製作してあり、わかりやすくそれなりの記載があればその事業者のことを信用してしまいがちになります。最近では寺のホームページも増え、宣伝のために活用している寺院も少なくありません。

当寺院『純聖寺』もそれは否定しません。しかしながら、誇大な表現で、叶わないことを記載し誘導していくようなホームページをよく目にします。私の見識からはおかしいことだらけです。知らないということは信用してしまいまいますから怖いことです。特に寺院活動はビジネスではありません。少しそのような気のあるところは正しい目を持って判断しなければなりません。

真言宗僧侶入門時にある弟子へ私の思いを伝えたことがあります。『欲に目がくらむ者に利他はない』寺院は困った方の駆け込み場所です。自利から利他へ(自身を正しく磨き手を差し伸べる)これが僧侶のあるべき姿であると思います。自身が欲で動くならば人はそんな坊主に相談などしません。正式な僧侶活動を忘れてはならない。そのようになれば僧侶としての仕事はなくなり、やがて僧侶ではなくなるのです。

※加工画像の宣伝ばかりで院内の様子もほとんどなく、主たる方の顔も出さず身元も明らかに公表されていないのはいささか疑問に感じざるを得ません。

メッキがはがれ真相を知ったときに「遅かった」と後悔しないように、あらゆることをご自身の目でしっかりと確かめること!ネットだけに頼らないようにしていただきたいと思います。

 

1月19日(日)は午前10時からと午後14時から今年初めての定例護摩です。真言密教僧の本分を忘れずに頑張ります!

 

密教の原点

先週京都に足を運びました。京都は紅葉まっさかりでしたが主要は東寺、2か月に一度程度で訪れています。目的は講堂の諸尊。空海の原点がここにある。この場所で感じることが教義であるといつも有難さを感じています。近年はスピリチュアルという言葉にあふれる世界観で、繋がりのないものを都合よくあれもこれもと結びつけて密教をご商売に扱う自称〇〇〇〇カウンセラーや〇〇で修行したなどとうたい僧侶もどきの霊媒師のような方まで・・・なんちゃって密教を取り入れおかしげなことをされているなどのお話を耳にすることがあります。講堂に入れば常人ならば密教観に圧倒されます。自身の学びのなさに恥ずかしささえおぼえなければならない・・・密教に触れることは許されても何もご存知のない方が密教を歪め別物にするのだけはどうぞご遠慮いただきたく思います。

悲しき形に変わりゆく僧侶とお寺

先日、他檀家の方からこのようなお話を伺いました。

『うちの和尚さんは最近の家族葬には反対のようです。どうもお布施が少なくなるからみたいで、法事でお越しいただいたときもお布施の話ばっかりであまり説法などはされませんし・・・』またお布施が少ないとお見直し下さいと突き返される。お話の最後には檀家を辞めることができるなら辞めたいとのこともおっしゃられていました。

現代の檀家離れの典型的な実例です。この辺りの相場ですが葬儀の際のお布施は当寺院の二倍から三倍と聞きます。少なくなると申しましてもそこから少々ですから申し分なく感じます。お寺の修繕費用や存続費用にかかることもあるでしょう。しかしながら、お寺に払うのはもったいないと思われるということは相応の布教がなされていないという証であると思います。どうして和尚さんはそこをご理解されないのでしょうか。物を買う時にそれ相応の価値に見合った物を買う。お布施は物ではありません。しかし、お坊さんが仏の功徳を檀家に押し付けてご自身が横柄な態度ではいけない。それなりのお布施を頂いているのであれば自らがしっかりと一生懸命布教をされなければならない、そしてその聖職者としてのお姿に安心を求めるのです。

私もしっかりと仏道に勤しまなければなりません。 合掌

 

 

働きながら僧侶になる。お坊さんになりたい。

私自身、手に職を持ちながら真言密教僧の道をめざしました。『働きながらでも僧侶になりたい』そのようにお考えの方は多くいらっしゃると思います。

僧侶を目指すとなると『修行』というものがあります。どうしても一定期間、お山に籠らなければならない。そのような問題が僧侶を目指したい気持ちにストップをかけてしまうこともあろうかと思います。

僧侶となって人のために何かしたい!と思われる慈悲の心をお持ちの方は多くいらっしゃると思います。そのような方に大弥山専修学院ではできる限り『僧侶入門』という門扉を開きたいと考えています。そして、学院では『修行』の期間を個人的に考慮し、ご自身のペースで『修行』していただく方針をとっております。

一昨日は東日本大震災、七年目の日でございました。学院卒業生の中には、遠い宮城県から真言密教を学びに当学院の門を叩き、僧侶となり現在では葬儀法要などさまざまな場面に出仕されている方もいらっしゃいます。ご自身も震災を目の当たりにし、被災者やまた、お亡くなりになられた方々の鎮魂のために尽力を尽くす所存であると仏道に勤しまれておいでです。

僧侶を目指す理由はさまざまであると思いますが、このような志をお持ちの方へ自らが学んだ真言密教をお伝えしたく思っております。

多くの人々に仏の慈悲が届き安心に満ちた毎日を送られることを心よりお祈り申し上げます。

『僧侶入門』詳細をご希望の方は資料請求も行っております。資料請求は僧侶入門リンクにある資料請求よりお問い合わせください。

僧侶としての葬儀出向

今年は年初めからいろいろとあり、今年初めてのブログ更新になります。

この冬は寒さが厳しかったせいでありましょうか。年初めから葬儀出向の依頼が多くございました。ご家族さまの意向に沿い、弔いの心は寄り添う気持ちを持って馳せ参じております。

私事でございますが数か月前に父を亡くしました。介護も数年、長く闘病生活を送っておりました。いざ亡くなってから葬儀をする際、いろいろな思いが込み上げてくるものです。家族が欠けるというのは本当に寂しいものです。20年程前にも弟を亡くし、今度は父を亡くしました。

『いいところに行けよ!』

送ってあげることが家族最後の大きな務め。父の葬儀は私が導師をさせていただきました。悲しむ心を堪えてやり切りましたが最後はほろっと涙が流れました。

そんな経験を致しますと僧侶としてご家族様の旅立ちの儀式に御縁があった際は、しっかり送ってあげなければいけないと強く思うとともにご家族さまのお気持ちに寄り添いできる限りお手伝いをして差し上げたいと思うのです。

今から約30年は死層時代とも言われています。つまり、旅立たれる方の年齢が層が多くなってまいります。加えてお寺様とご縁を失われた御家もたくさんあると聞きます。僧侶として故人様を送って行くことは使命であります。もしお寺様との御縁など失われお困りのようでございましたら当寺院へご一報ください。宗派は不問です。また葬儀に関する事前のご相談も無料でお受けしております。御遠慮なくお申し付けください。

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