方法を知る前に知ってもらいたい現状
本題に入る前に、聞いていただきたいことがあります。先日このようなことがありました。私は寺院活動もしておりますが、整体の心得もあり、20年近く、ご希望者に整体を施しております。ある日ご希望者が整体に来られましたがどこか様子がおかしい?私もお越しになられてからずっしり倦怠感に襲われ、いつも弾む会話もほどほど、私はすぐにピンときました。ご真言を微音で唱え続けるとしばらくして受者の方もいつものように会話が弾みかけました。ほどなく受者の方が『私何か憑いてました?気分がすぐれなかったんです、でも今随分スッキリしました』そうおっしゃられました。その障(さわ)りは霊の仕業なのでしょうか。
私たちは当たり前のように生きていますが、人が存在していることは実に不思議です。人の命、肉体は永遠に存在することはありません。でも、魂はどうでしょうか。葬儀法要に出仕する機会がありますが、昔と比べると法要の在り方が随分変わってしまいました。法要の簡素化と故人への思いが薄れることは少し違うような気がします。しかし、そうなってしまっているのも自己中心思考が、今の社会的通念上、寛容になりすぎてしまっているからだと思います。私の持論ですが『手を合わせてもらえない』感謝や敬意を持ってもらえない、そんな魂がこの世に溢れかえっているような気がします。
いい人が急におかしくなってしまったり、突然、倦怠感にみまわれたり、原因不明の不定愁訴になってしまったり、そのようなことが事実、多い世の中です。感謝や敬意を受けなくなってしまった魂がどこかによりどころを求め、そのマイナスの波長と共鳴できる誰かを見つけ、よくないシグナルを発信し人知を超えた影響を与えているように思います。手を合わせるという『純粋な心』感謝する習慣が薄れてきたからに他ならないと思います。
祈りの力は本当にある
アメリカでこのような実験がありました。心臓疾患専門の病院で祈られるグループと祈られないグループに分け3か月後どうなるか実験をしたそうです。実験対象者には祈られているという話は内密に行われました。結果、祈りのあったグループの方は健康で、そうでなかったグループの方は容態が良くない人が多かったそうです。この実験は場所や人を変え幾度となく行われたそうですが結果は先に述べた通り変わらなかったそうです。
私の寺院でも同じようなことがありました。急なご病気で余命先刻までされましたがその後回復されて今現在は元気でいらっしゃいます。当時はご家族様にお願いをされ毎日仏様にご真言を唱えお祈りをしておりました。お祈りをしていると私は、凄く重たく、つらく、しんどく、倦怠感もきつく、まるでご病気になられている方の思い、魂が移ったかのようでした。しかし、2週間近くなって急にお祈りしていても楽になったのです。不思議に思いご家族様にご連絡しますと快方に向かっているとのことでした。また、お車のご祈祷をした方が不慮の事故に巻き込まれまれ車は大破しましたがかすり傷程度であったなど、このようなお話は数え切れぬほどあります。祈りとは正法者にのみ届けられる人知を超えた素晴らしい能力であると思います。
本当の真言とは
真言宗は別名『真言陀羅尼宗』と言います。つまり、言葉『呪文』を大切にします。ご真言は仏様に帰依しお願いを申す言葉です。そう考えると真言は安易な気持ちで唱えても成就できるものではありません。仏様を私たち人間界に例えたとしましょう。私たちの世界と仏様の世界はもっと差があると思いますが、分かりやすく申せば、私たちは大会社の一社員、仏様は大会社の社長です。一社員が社長とお目通りが叶うのは社長がお認めになるだけの地位と実力をお持ちの方のみです。そのように考えると単に真言を唱えても仏様はその方を存じないので真言が伝わることはなく呪力を引き出すことなどできません。つまり、真言が本当の呪力となるには、仏の世界へ出入りする資格(伝法灌頂)を持ち三密瑜伽を常駐し仏に帰依し仏に使え続ける毎日を送っていなければなりません。それができるのは僧侶のみであると思います。しかし、、、、、
それでは一般の方が真言を唱えても呪力にならないかといえばそうではありません。邪な心を持たず自身の純粋な気持ちで一心に真言を唱えれば呪力となります。但し、先に述べた通り一般の方は僧侶ではありません。仏様にお目通りしていただくためには、僧侶の方のお力をお借りして仏様とのつなぎ役を担っていただくことが大切です。一般の方は娑婆の世界に身を置いています。娑婆には邪が溢れ知らず知らずのうちに邪垢が身についてしまいやすい環境におられます。仏様はその汚れた垢を嫌います。正しい魂を持って真言をお唱えできなければ呪力にはなりません。また、『方法を知る前に知ってもらいたい現状』でもお話ししましたように、自己中心的思考で利得の為、真言を利用されたり、またそのような方が他者へ真言をお唱えになることでマイナスの波動が起こり、益々おかしくなってまいります。自身だけでなく周りにも影響を及ぼしかねません。真言は仏様と繋がる言葉です。大切にされなければなりません。
お寺は聖地であり仏界への入口です。お寺が存在しているのはそのためでもあります。ご真言を唱える場合お寺でお唱えしたり、指南していただいたり、僧侶の方と一緒にお唱えになられたり。つまり、寺院と関りを深めることで有り難い教義を学び、真言を唱えることで仏様から守護されていくものです。寺院で直接お会いできる方はもちろん良いのですが、私のYouTubeで出会えた方、ご視聴いただいた方も寺院とのご縁ができた方であると思います。真言を本当の呪力にするためには、このことを理解し、ご縁を末永く持っていただき、純粋な気持ちで仏様に触れ続ける(見続ける)ことが大切です。そうすれば仏様は気持ちよくお目通りして下さると思います。縁者になられた方は、私が必ず仏様との橋渡しを致します。
また、私が尊敬する伝燈大阿闍梨はこのように申されておられます。僧侶にご祈祷を依頼する際、お名前、年齢、住所がわかれば仏の功徳は時空を超える。しかし、尚良いのは受者とお会いしてお顔を見ることが一番である。つまり、その方を思い念じることができるからということです。お会いできれば僧侶の呪力は上がります。ご機会があればお会いしましょう。
これが、本当の真言『呪力』を倍増する正しい方法です。皆様に真の仏様の波動が届きますように、今後も精進し仏様と向き合い動画を配信してまいりたいと思います。合掌
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