真言密教、開運相談の寺 、姫路成田山の福崎布教所 大弥山 純聖寺 、
兵庫県姫路市近郊福崎町にある駆け込み寺、人生相談、運気改善、悩み事、お寺で開運下さい。
【住職の開運のお話】
10月も半ばを越えました。2か月前の猛暑が嘘のように朝晩はひんやりとしてきました。季節の変わり目、心身もバイオリズムをくずしがちな頃です。どうぞご無理のないようにご自愛いただきたいと思います。
先日、初めてご相談に来られた方がいらっしゃいました。大変ご苦労をされておられるご様子でした。今の世のは、真面目に歩もうとすることで苦しむ方が多くなっておられます。『幸せになりたい』全ての人はそう思っています。しかし、そうなって行かない。そうなってくれない。かつて、私もそのような心境ばかりでした。今も時々、心が座らない、そう思うときはあります。胸の内を語ることが誰にもできぬときばかりです。悩むもひとり、解決、判断するも己のみ。
亡き母はいつも言っておりました。『謙虚であること、負けるが勝ち、いつも一歩引いて他人を立てよ』私が救済の道を選んだのはこの言葉が潜在意識にあるからだと思います。しかし、母は苦労人でした。人が良すぎて、人によく振り回されておられました。その分、疲弊をしておられました。自身のそんな意志の旗に『つらい』と言えなくなっていたのでしょう。
親の性格は私にも遺伝しています。幸せを思い、過ごすも良からぬことが起こると、やっぱり幸せなんて遠いものだ。私は幸せになってはいけないのかもしれない。幸せになろうとすると、その状態に違和感が生まれ、幸せではいけない。そう潜在意識が思っていたのです。そんなときは、まるで負のオンパレードを全身で浴びるがごとく感じ取り、何をやっても無理無理と悪いものしか見えなくなっておりました。
かつての、わたくしのように、そうなっておられるほとんどの方は、思考してはならない側の日本独特の美観価値『犠牲心の呪い』にかかってしまっているのだと思います。私は人を思いやる気持ちは必要不可欠と思っています。それが良き人の世を作って行きます。しかし、私がやっておけば、私さえ我慢すれば、その自己犠牲の『呪い』を自ら外さなければなりません。
では、どうすれば、その呪いを外すことができるのでしょう。私は心が座らないとき、本堂にいると何故か心が落ち着いて行きます。仏様は無言です。会話することもできません。なのに心が落ち着くのです。理由は全くわかりません。私は、いつからか理屈ではなく心がそうなることに素直になることにしました。心が済んだ状態を作って下さっているのに、わざわざ、黒くすざんだ思いを沸かすことはないでしょう。感謝です。意識は必ず途切れます。心は悪いことばかり感じるわけではありません。良いことも必ず心は感じます。良いことを多く感じるようにしました。
先日、心ない方からご予約の突然キャンセルがありました。時間を設け、準備をしておりますので一瞬、どうして?と人だから思います。でも、このところ忙しかったので重要な用事に時間を回せました。そう思える心は負の出来事と認識しなくなります。一気に『犠牲心の呪い』は外れませんでも少しづつ、『済んだ心』良い方を多く素直にとらえる心へ意識を向けて行くことです。そうすれば、曇って見えなくなっていたあなたの心のお眼鏡が済んで邪がない物を多く映し出してくれるでしょう。そして、その喜びが自身のエネルギーとなり、やがて自身の魂が大切に思えてくるものです。自分はやっぱり駄目、無理!ではいけない、自分を大事にして、救ってあげましょう。
では、私からブログをご覧の皆様に『呪い』をかけます。『あなたは幸せになっていいのです』
誰よりもまず、自分自身そうあるべきです。遠慮なく幸せになって下さい。10月15日定例護摩の炎です。どうぞパワーをいただいて下さい。ご覧になられたこともご利益です。運が良いのです。決してマイナスばかりではないです。守られていると思いましょう。私も祈り続けます。 合掌
『気が見える不思議な僧侶』北本聖明阿闍梨の秘密 YouTube動画
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