北本 聖明(きたもと せいめい)
大弥山真言宗 伝法大阿闍梨
姫路成田山 福崎布教所 住職
自身の生い立ちや人生に深く悩み得度、修行を経て『人の道とは自利から利他』密教僧として志しを高く持ち、十五年近くにわたり姫路成田山新春修正会の護摩供養法楽祈願の主僧として従事。後に姫路成田山福崎布教所純聖寺として本堂を建立、自坊にて一段尽護摩、年間三十六座を約十年(約三百座以上)そして、毎日かかさずに十一面観音菩薩、不動明王、光明真言などの諸真言を千回(年間三十三万回)唱え続けている。祈願祈祷、約五百座以上登壇。地鎮祭や葬儀法要など姫路成田山でもっとも出仕経験が多い僧侶である。また、法務のかたわら悩める人々の個別相談(カウンセリング)を約20年以上行っている。
住職と純聖寺の歩み
働きながら僧侶になる
私は、幼少のころから仏像や寺院に心ひかれ青年期には密教の書物に目を通すようになっていました。その頃には仏さまのご真言を覚えるなど自然に密教への関心を深めておりました。僧侶になろうなどとは全く心にはなかったのですが、ある人が他界をされたのをきっかけに自身の『生きる』ということの意味を理解したいと悩み僧侶の道へと足を踏み入れました。今思えば、僧侶になったことは誠に不思議なことでございます。さまざまな縁起により一密教僧として毎日を送らせていただいている。その中で私の仏性がこの道へと、どんどんと前に進ませているのだと。そしてこれが私の道なのだと日々邁進しております。
不思議な体験
阿闍梨となり求道者として歩み始めたころ、夢枕にふと十一面観音様が現れ『待っているから、早く来なさい』と言われたのです。不思議な夢を見たなと思いながら、思うことは厳島のとある場所。『よし、行ってみよう』そう思いすぐに予定を立てて行ってみました。現地にはたくさんの仏様がいらっしゃいましたが、いくら探しても十一面観音様はいらっしゃいません。あきらめかけたとき、どことなく真後ろから『こちらですよ』と言われたような感じがして振り向きましたら、夢枕にお出でになった十一面観音菩薩様とうり二つの仏様が立っておられました。その後、理由を説明して譲って頂きました。現在、その仏様が純聖寺のご本尊となっております。
現在の私と純聖寺
僧侶としてさまざまな場面でこの世の中に必要とされるようになり、この不思議な十一面観音様をご本尊として平成二十五年 大弥山 純聖寺を開山しました。僧侶になりましたころから、仏事に必要なものを少しずつ揃えさせていただきながら、コツコツと道場らしくしてまいりまして現在に到っております。小さなお寺ではありますが仏心仏道をよりいっそう重んじ仏事を行っております。葬儀法要や護摩祈祷のほか神事と思われがちな地鎮祭などの出向も承っております。法楽祈願などにおいては、姫路市の大きなお寺で行われる新春法要にて法楽太鼓の主僧として十五年近く登檀させていただいております。経験豊富な僧侶と自負しております。何かお困りのことがあればどのようなことでもお気軽にお尋ね下さい。